1. トップ
  2. 記事一覧
  3. ウィッキー・根本の想い

Thoughtウィッキー・根本の想い

VOL.8 太平洋戦争後 日本人の音楽趣向の第二転換期

私が中学時代であった昭和30年代初頭から、大学時代の昭和40年代初頭までのおよそ10年間に私達日本人の音楽趣向に第二転換期とも言うべき、大きな変化が起きたのである。
 フランク永井、鶴田浩二、マヒナスターズ、石原裕次郎らは、当時としては新鮮な感覚の歌謡曲として多くの方に受け容れられ、人気を博しました。
 一方、続々とアメリカのポップスやTV映画の上陸で、日本人の音楽への興味や趣向の選択肢が拡がり、それを受けて同時進行しながらハワイアン業界のバンドグループ「和田 弘とマヒナスターズ」、「ダニー飯田とパラダイスキング」、「伊藤素道とリリオ・リズム・エアーズ」などは、次々にハワイアン音楽から去っていったり、遠ざかったりして、ステージでの演奏曲目に歌謡曲を多く採用したり、さらに「バッキー白片とアロハ・ハワイアンズ」又は「大橋節夫とハニーアイランダース」は、ハワイアン音楽に中心は置きつつも、歌謡曲を自ら作曲してスチールギターの音色にのせて演奏していたことを思う時、少しずつ時代の変化を感じさせる証左(証拠)と言えるであろう。

 また「ピーターポールアンドマリー」の「風に吹かれて」や「パフ」、ジョーンバエズの「We shall over come」などのフォークソング(民間伝承曲)が、吉田拓郎やチューリップ、武田鉄矢たちを輩出し、「キングストーン・トリオ」や「ハリー・ベラフォンテ」などのコンガという打楽器を盛り込んだカリブの音楽、及び「ペレス・プラド」や「トリオロスパンチョス」を代表とするマンボやラテン音楽が、沢村美智子や東京ロマンチカなどのムード歌謡コーラスへつながり、ベンチャーズのエレキギターの演奏は寺内タケシを筆頭とする現在に至るエレキ・ギター演奏の全盛をもたらし、ビートルズの出現と併せて数多くのグループ・サウンズの誕生を見るのである。  それらが複合的に反応しあって、私達日本人の音楽趣向に戦後第二派目の転換期を促したのである。

2002.08.18

Contactお問い合わせ