1. トップ
  2. 記事一覧
  3. ウィッキー・根本の想い

Thoughtウィッキー・根本の想い

VOL.2 日系ハワイ人の米兵との出会い&親交

東京の城北地区に常盤台という所があります。私は小学校3年生から結婚する迄そこに住んでおりました。当時買い物や何かの用で出かける街は池袋でした。
 昭和28年から昭和48年頃におけるその時代では、ダンス・ホールやキャバレー、音楽喫茶店、ナイトクラブというものがあり、必ずといっていいくらいハワイアン・バンド が出演しておりました。いわば、ハワイアン・バンドの隆盛期でもあったわけです。
 一方「大学は出たけれど・・・」の時代でもあり、私の兄達もプロのハワイアン・バンドを目指す、当時の業界用語でいう「アルサロ・バンド」として、 研鑚し業界でのステータスを築く諸々の活動をしておりました。
 その頃の日本は終戦以降全国各地にアメリカ合衆国の駐留軍基地があり、東京都北区の王子という所にも俗称「王子キャンプ」というものがあり、数多くの日系ハワイ人の兵隊がおりました。
 彼らは休暇になると池袋に出向き、兄達が出演しているステージ(店)にも来るようになり、 ここに私達兄弟(一家)と彼ら日系ハワイ人との出会いが始まるようになります。時には 彼らもステージで、ウクレレを弾き歌を歌いどちらが出演者か判らないくらいです。
 その後、何度も来店するようになり、親交が重なりキャンプ内又は日本の行楽地へ彼らの車で一緒にでかけるようになり、常盤台の我が家にも来るようになったのです。

 当時11人家族だった我が家で、大柄な彼らが何人も来るといささか狭苦しい感じでしたが、それゆえに気さくでアット・ホームに会話を交わすこともできました。
 初めて飲んだ 「コカ・コーラ」や「ファンタ・グレープ」 そして、雨戸を外してりんご箱に乗せシーツをかぶせただけのテーブルでの「すき焼きパーティー」は、50年近く経った今でも、忘れられません。
 当時小学生だった私は彼らの大きな膝の上にチョコンと座って、独特の雰囲気を意味解からずに 楽しんでいました。

2001.10.15

Contactお問い合わせ